「幸福に老いる」とは?

朝晩涼しくなり、過ごしやすい季節になりました。
この季節になると、私は、いつも自分が書いた卒業論文のことを思い出します。
私は大学では、高齢者福祉に関する研究をしていました。
卒業論文のテーマに「幸福に老いる」という、無謀にも途方もないテーマを選んでしまい、四苦八苦しておりました。さすがの私も、書き始めて数日でその重さに気づき、急いでテーマの変更を考えましたが、先生から、「自分自身にとって実りある研究になるから、がんばってやってみなさい」との助言をいただき、ひとまずやってみることに決めました。
近所の施設やデイサービスにお邪魔して、利用者の方々に直接インタビューをしたり、実際に介護をする人たちからも話を聞きまわりました。国内外の論文を読みあさり、生活の大半を論文に費やす生活が続いていました。友達はみんな心配していましたが、大学の図書館で過ごしたあの日々は、今となってはいい思い出です。
金銭的な要因、趣味や余暇活動、同居家族の有無など、高齢社会が抱える問題にはじめて向き合いました。このテーマは、一介の学生が取り上げるにはあまりにも大きく、今思えば若さ故の無茶な冒険であったと恥じ入るばかりですが、一つだけ気づかされたことがありました。それは、孤独さを感じている人ほど、幸福感からは遠ざかっているということでした。社会の一員としてあり続けることを考えなければ、そこに幸福はない。それは高齢者も若年者も同じではないのか。高齢者だけを切り抜いて考えるその傾向にこそ、この問題の本質があったのではないのか。そんなありふれた言葉でまとめられた私の論文は、最初の壮大なテーマをどこかに置き忘れ、情熱だけが先走る、稚拙(ちせつ)で混沌(こんとん)としたものに仕上がっていましたが、先生は読んだ後に一度だけ頷いておられました。相談員として働きはじめて、もうずいぶん経ちましたが、良くも悪くも、私の原点はあの卒業論文の中にあったな、と思い出しながら、いつもこの季節を迎えます。

医療福祉相談室 蒼いザリガニ