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共感は必須?

2021年になり早20日が経とうとしています。世の中はさらに混沌として、理解できないことが次々に出現し、納得できないまま時間が過ぎていきます。じっくりと事の本質を指摘する論評や書籍が欲しいです。

新型コロナ感染症の行く末、新型コロナウイルスワクチンの本質、罰則を科す感染症法改訂の是非(日本医学会連合、日本公衆衛生学会、日本疫学会は1月14日に反対声明を表明) 等々・・・
内田 樹(たつる)著の「日本習合論」(ミシマ社 2020年10月)を読みました。

第一章の「動的な調和と粘ついた共感」の文章表現には感心し共感しました。著者は自身を少数派と評し、こう言い放ちます。
共感主義者たちは「和」をうるさく言い立てます。異論を許さず、逸脱を許さない。みんな思いを一つにしないといけない。我々は「絆」で結ばれている「ワンチーム」なんだ、と。・・・中略
共感なんかなくてもいいじゃないですか。そんなものばかり求めていると、身動きできなくなりますよ。きちんと条件を定めて、ルールを決めておけば、共感できない人、理解できない人とでも、共生し、協働することはできる、何らかの「よきもの」をこの世に送り出すことはできる。・・・中略
ミスマッチを「悪いこと」だと考えるから傷つくんです。人生はミスマッチだらけです。僕たちは間違った家庭に生まれ、間違った学校に入り、間違った人と友だちになり、間違った相手と結婚して、間違った仕事を選んで、間違った人生を送る。そういうものなんですよ。それでいいじゃないですか。それだってけっこう楽しいし、そこそこの「よきもの」を創り出して、この世に遺していけるし、周りの人からは「楽しそうな人生を送りましたね」と言ってもらえたりするんですから。・・・中略
「ミスマッチ」が悪だと思うのは「マッチすること」がふつうだと思っているからです。・・・中略

 医療や介護では「共感」が有用ですが、「粘ついた共感」であるならそれは必要ではなく、
「共感できない人、理解できない人とでも、共生し、協働することはできる、何らかの「よきもの」をこの世に送り出すことはできる。」を実感します。

著者の言う「多様なものがにぎやかに混在して、自由に動き回っているうちに自然に形成される動的な「和」 」を目指したいですね。 現在の世相は、(体験はしていませんが)日本が泥沼の戦争に進み始めた時代の雰囲気に似ているのではと危惧するばかりです。

平成南町クリニック 玉田