鬼手回春(きしゅかいしゅん)

第205号 平成21年8月15日発行

         
  Drの目  

『軸がぶれない人間に』
消化器科 医長 吉岡 毅

 高校卒業までは岡山で育ち、大学から岡山を離れその後近畿(京都→滋賀→大阪→和歌山)で主に消化器内科として仕事をしていました。これまで勤務していた病院では消化器内科医が6?15人という環境でありましたが、現在消化器内科常勤は自分一人のため、まず環境の変化に対応するのにひと苦労でした。まだ慣れていない部分も大いにありますが・・・。また久しぶりに岡山(倉敷)で生活して、患者さんや看護師さん達の発する岡山弁の迫力に圧倒される毎日でしたが、最近ようやく岡山弁に慣れてきた感があります。
  医師になってからスポーツはもっぱら観賞する方であり、現在お腹周りもそれ相応となっていますが、大学時代は野球部に属していました。当初医学部野球を勉強ばかりしている人間が少しボール遊びをしている程度となめていましたが、先輩に高校球児がかなりおられてその考えはすぐに崩れ去りました。夏休みには医学部野球で最も大きな大会である西医体に備えて灼熱の太陽のもと8時30分?18時までをほぼ連日(練習最終日にはみんな黒人のように真っ黒に日焼けしていました)、秋の大会前にはまだ空にはオリオン座が輝いている時間からグランドのランニングおよび日の出とともにキャッチボール、ノックや連携などの朝練があり、実にハードでありました。医学部の6年間は授業よりも野球をしている時間の方がはるかに多かった事、追試をたくさん受けた事を思い出します。ただ練習をすれば結果として現れる部分も多く、ぼんやりとしていた西医体優勝の目標が一時手の届く範囲まできていました。結果的には西医体優勝は夢と消え最高で3位止まりではありましたが、ひとつの目標を共にめざす事ができた仲間(先輩後輩含め)と野球部での経験は自分にとってはかけがえのない宝物であります。
  最近では今年小学1年生の長男と年中の長女とバッティングセンターへ一緒に行ったり、2歳の二男も交えて旭川の土手で捕球の練習をしながら楽しんでいます。一緒に見始めたアニメ・メジャーは子供達よりもむしろ自分がはまり、時には涙している事もあります。子供達には“不器用でもいい。たくましく育って欲しい”と思っています。
  岡山に戻る事を昨年決意してからこれまでの生き方、今後の生き方について考えるようになりました。自分の理想は“軸がぶれない人間”であります。人間には誰でも弱いところがあり、自分の都合の良いように基準を変える、いわゆる軸がぶれる性質を皆多かれ、少なかれ持ち合わせていると思います。そこをいかに制御し、常に同じスタンスで物事に対処できるか(人間窮地に立った時その人の本質が見えると言いますが)を今考えているところであります。
  最後に倉敷平成病院はこれまでの病院と比較して医師の数が少ない事は確かではありますが、少ないからこそできる事、例えば診療科の違う医師同士の、直接の対話による強力な連携などがあると思われます。これから微力ながらどのように病院に貢献できるか考えていきたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。